罪悪の魅力について
聖霊優勢で過ごせた土曜日の翌日、
母から高齢の父の体調が悪いという連絡があった。
それを聞いてすぐ、私の平安は消え去り、
恐れが湧いてきた。
良いことは続かない、
罪人に安息の日々などやってこない。
そのような思いで胸が一杯になる。
しかし心のどこかで、これはおかしい、
なぜこういとも容易く聖霊から自我に飛びつくのだ
と疑問が湧いてきた。
その時、「罪悪の魅力」という概念を思い出した。
私は罪悪に魅了されている。
電話をきっかけに自らの有罪性に飛びつき、
私は有罪だと証明しようとしているのだ。
そのことについてコースを調べてみた。
そして罪悪の魅力こそが、特別な関係の中にある真の好餌である。あなたはそれが特別な関係の真の魅力だとは認識していない。自我はあなたに特別な関係の中に自由があると教えてきたからである。だが、特別な関係を些細に見ていけばいくほど、それは必ず罪悪感を育むものであり、したがって必ず幽閉するものであることが、明らかになってくる。
T-16.Ⅳ.3:2-4
まさに父の体調不良は私にとっての好餌であった。
罪の香りがする餌に、私は聖霊を捨てて、
食らいついたのである。
恐れの使者たちは、罪悪を探し出すようにと厳しく命じられる。見つかる限りの悪と罪のかけらを大切に集め、一つでも失えば自分が殺されるので、決してなくさないように全てを持ち帰り、君主にして主人なるものの前にうやうやしく横たえる。
T19-Ⅳ.A.11:2
私は特別な関係に対して投影という使者を放つ、
彼らはそこで見つかる限りの悪と罪のかけらを集め、
私の前に並べる。そして私はそれを見ながら、
やはり私は有罪であるのだと嘆き絶望する。
そのように感じた。
(2023年9月 by ようすけ)

