怒りとは恐れである。
私の主な教室として恐れがある。
大小の違いはあれど、常に恐れを感じている。それをどうにかしたいというのが、私の『奇跡講座』を続ける動機となっている。
しかし、時々強烈な怒りが現れることがある。
昨日実家を訪問し、とあることで父親と話をしたのだが、父親の態度に対して、怒りが表出した。
もうそうなると止めることはできない、私は父を厳しく問い詰めた。
そのことについて、家族内でも一悶着あり、葛藤に苦しんだのだが、今朝目を覚ますと、一転巨大な恐れに私の心は囚われていた。
怖くて怖くて起き上がることができない。このようなことは多々あるが、今回は強い恐れを感じた。
投影するなら、神を憎悪するということは避けられない。
激しい恐れを前に、いつも立ちすくんでいた。
恐れを見ようとしても、怖くて直視できなかった。
何故か、私は自分を殺したかった。
そして時々、恐れに変わって、激しい怒りが噴き出してきた。
何故か、私は神を殺したかった。
「私は神を殺したかった」そのことを思いながら、父への対応を振り返った時、今までとは別の認識がやってきた。
私は神を憎み殺してやりたかった、しかしその思いを否認して、父に投影して、父の対応に待ってましたとばかりに飛びかかり、その対応は間違っていると私の正しさを主張し、怒りという攻撃を加えたのだった。
そして私は今朝、そのあまりに強烈な自分自身の利己性に強い恐怖を感じていたことを自覚した。
それに気づくとなんだそうだったのかと、私の心に平安がやってきた。
怒りとは恐れだったのである。
(2022年4月 by ようすけ)

