否認と投影
『奇跡講座入門』の「否認と投影」についてのセクションの中に以下のように書かれている:
けれども私たちは、あるレベルにおいては、罪悪感は確かにまだあるということを知っています。ですから、私たちは再び、自我に向かって、こう言います。「否認はまあまただったけど、他にも何かしてもらわなければならない。この罪悪感がどんどんつのってきていて、そのうちに私は爆発してしまいそうだ。どうか、助けてくれ」
『奇跡講座入門』79ページ
ここを読んで、否認されていた罪悪感が見える時が来たら(=投影に気づくことが出来れば)それがどのようなことであっても貴重な赦しの機会となるということや、それゆえ、自分を咎める必要もなければ、防衛を必要としないということも思い出したいと思った。
また、このセクション全体を何度も読み返しているうちに、この『奇跡講座』の〈赦し〉を学ぶということは、真理や愛や聖霊についての学びではなく、「自我とはなんたるか」についての学びであるということであり、自分が自我を選んでいるという自覚と、その選択の力を持っていることを思い出す学びなんだな・・・ということが、改めて深く響いてきた。
私たちの恐れや処罰ついての執着(罪悪への魅力)がとてつもなく強いということと同時に、常にもう一つの選択肢である聖霊が存在していること。そのように意識することが多くなるにつれ「少しづつ」安らぎへと進んでいく「聖霊の優しい導き」と、〈赦し〉という完璧な治療法が与えられていることに、感謝せずにはいられない。

