私自身が選択した「目的を持った否認」
【精読・テーマ読書会】「否認」で、【質問】No.123 アファメーションは、『奇跡講座』を学ぶ助けになりますか? について学んできました。今回の表題についての、皆さんの投稿を読んでの軽い感想です。
とは言っても、やはり抵抗が強いのか、読みたくない、読んでもなかなか入ってこない感じの時がほとんどでした。
読もうとすると吐き気がする、すぐに画面を閉じてしまう。
皆さん、すごいな、熱心だな、学びが深いなと思う気持ちと共に、自分は落ちこぼれだと思いたい、自分は除外されていたい、という気持ちが沸々して、心が本当に騒がしく、ここに書いてあることは自我が見たくないものだらけなのだろうなと思いました。
これも自我を選択した心の反映ということなのか、と感じます。
読まなければと思いながらも違うことをしていて、フォーラムに近づかない方が安全だ、逃げた方がいい、というような考えが浮かびました。
自分が自我の目的を選んでいることを自覚してはいましたが、「神」「平安」という言葉に反発するような心の動きがとても強いので、無理に変えようとせず、せめてそんな自分を冷静に見れればよしとしようと思いました。
それでも、リラックスしている時は気楽に読めて、皆さんの投稿にすごく共感したり、心に文章が入ってきたり、心強く思えて励まされたり、一緒に学ばせていただいている事に感謝を感じたり…なんだかアップダウンが激しく落ち着かないというのが正直なところです。
皆さんの投稿を読むと、抵抗は色々な形態で現れることが実感できます。
自分だけじゃないんだな、それだけ「否認」について学ぶということは自我がしたくないことなのだな…世界というのは強力な防衛なのだということがよくわかります。
「真の神との関係」は、自我にとっては「不都合な真理」なのですね。
st55さんが「目的を持った選択」「目的を持った否認」について書かれていた事が、とても心に残りました。
今回、読書会の課題にはちゃんと取り組めていませんでしたが、日常の中では教材の内容がよく思い出されました。
そして改めて、アファメーションでは分離を取り消す事はできないと感じました。自我の内容は本質的に憎悪に満ちているものだと感じます。いくら形態が良いものや魅力的なものに見えても、分離の想念とはそういうものなのだと感じました。
自分が愛情だと信じていたものをふとしたことで裏切られたように感じ、頭髪が逆立ちそうな憎悪や絶望感に変わる瞬間がありますが、これをアファメーションで赦すのは全く不可能だと思います。
特別な関係の下にあるそれは、本当に自分本位で強烈な殺意に満ちているもののような気がします。
でもこの感情の奥にあるのは、私自身が下した「目的を持った選択」「目的を持った否認」なのだと思い出すと、その関係へのこだわりがとてもつまらなもののように感じられ、心が静かになっていきます。いつもではないですが、これを繰り返していくことが大切なのだと感じました。
冷静に自我を見るための全てを『奇跡講座』が与えてくれていると思います。
それでも抵抗はありますが……学ぶのをやめたくはないので、焦らず少しずつ、できることをやっていきたいと思います。
皆さん、ありがとうございました。
( 2025年8月 by ふうせん )

