優しい人
自分で言うのも何ですが、私はよく人から「優しい」と言われます。
でも、私自身はあまりそうとは思っていません。
と言うのも、自分の心の奥底のドロドロした汚さが自分自身よく分かっているからです。今の私は偽善的な優し ...
裁かずに見る
『思考の逆転』からの引用です。
このコースが提供してくれる助けというのは、別の言い方をすれば、私たちに選択の力を思い出させることであると言えます。
「何が問題なのかを認識する」(W-pI.79)ということは、最 ...
判断
「判断」について、(間違っているかもしれないけれど)次のような考えが浮かんできました。
「判断」をするとは、自我の思考体系を選んでいる私(決断の主体)が、自我の思考体系に沿って、自分自身で、自力で「判断」をする、ということ ...
本当につながるということ
今朝、愛犬のまるが私の膝の上にあごをのせて、ゆっくりと目を閉じてスヤーっと寝て、そのおでこを撫でると一段と気持ちよさそうにするのを見ながら、軽い体重を膝に感じていました。
何が気持ちよいのか。
やわらかい、まる ...
どう見える?
ワークブック解説(1)の講義の座談会に参加してから、日常で心に戻ろうとすることが多くなったように思う(当人比)。
なにかを判断して、それにこだわろうとしている時に、そのこだわりの上で、良いと思ったことと悪いと思ったこと、そ ...
自我と聖霊を、行ったり来たり
テキストから引用します。
あなたの心は私の心につながることを選択するだろう。そして、共に居れば私たちは無敵である。
(T-8.Ⅴ.3:1-6)
私は、「共に居れば私たちは無敵である。」の部分が大好き ...
一人でできるもん!
身内の不幸があったり、家庭内で修復不可能な問題が浮上したようにみえたりのこの頃。
一番堪えたのは、自分の中に、非常に利己的な、自我の思考体系を見ること。
自分の身体の存続に益なのか、損なのか
特別感 ...
祈り
親しき人との別れの時、この人の今後の人生が、「幸多からんこと」と祈ることがある。
今日もそのような瞬間があった。どうかどうかこの人が、幸せでありますように。そのような祈りを、善き事と認識していたが、今日は違和感を感じた。
別の見方
やはり、自我の心を選んでいる時は、どの瞬間も、ハラハラしているのだと思うことがあった。正しい心を選んでいない時には、絶えず、ハラハラしているのだと思う。それが表面に上がってこないだけ。それを投影する機会が、たまたま、ないだけ。 ...
恐れや攻撃の想念を自覚する
先日の三連休にどうしようもない恐れが出てきて、赦しもできず疲弊していたのですが、「JACIM掲載の記事についてのフォーラム」の「質問 No.110 浮上してくる怒りや攻撃の想念について」のトピックでの皆様のやりとりが、自分が何処で行き ...
